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俺ら、SYDNEYで人並みにやってけるの?

2007年2月に家族でオーストラリアに移住してからの毎日を徒然なるままに記すとりとめもない独り言

2017/02/16(木) 10TH ANNIVERSARY

期待と不安の両方を抱きながら家族とともにここSYDNEYに降り立ってから、今日がちょうど10年目。
2月16日が俺らの「移住記念日」で、今日がまさに豪州移住10周年。

ソウル経由のアシアナ航空、ソウルを発って数十分後に機長の「エンジンの不具合が発生したので引き返します」というアナウンスで仁川空港に逆戻り。
1時間近く機内で待たされ、その間ドアを開けっ放しにされたために吹き込む寒風の中で白い息をはきながら「幸先悪いスタートだ。これからも波乱万丈が続くのか?」と行く末を案じたこと。

入国カードの入国理由欄、「IMMIGRATING PERMANENTLY TO AUSTRALIA」にチェック入れる人なんてめったにいないだろうから、入国管理官から「WELCOME TO AUSTRALIA!」とか声かけられるのかな?とちょっと期待してたら、何も言われなくてガッカリしたこと。

20170216-1.jpg

重量制限MAXの荷物をピックアップして予約済みのサービスアパートメント(WAITARA)まで電車で行くつもりだったが、客引きの運ちゃんに「5人ならタクシーで行っても料金そんな変わんないよ」と言われてノコノコ付いていったこと(実際90ドルで行ってくれた)。
そして、サービスアパートメントに着いたはいいが昼前で受付に誰もおらず、ケータイ持ってない俺らを見かねた運ちゃんがオフィスに電話して掛け合ってくれてなんとかチェックインできたこと。

思い出すなー。
あの日は快晴で、日射しがやったら眩しかった。
あれから10年、俺ら、SYDNEYで人並みにやってこれたんかな…

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空港ターミナルの外でこの優しい運ちゃんが撮ってくれた写真、今もダイニングにちゃんと飾ってある。
みんな若い、と言うか、幼い!
当時4歳の長女なんて、カートに乗ったスーツケースの上に座ってるし。


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2015/04/30(木) オーストラリアは夢の国なんだってよ

『時給1800円は当然!オーストラリアの働き方が夢のよう』
この記事、釣りだよね?

「スーパーのレジ打ちは、時給2300円」
「残業もないし、給料が高くて時間もルーズらしい」
「日本の大学卒の初任給は月収20万円ほど。それに対して、オーストラリアでは42万円」
「働き方は、自己チューでOK。 休みとったり、転職したり」

おめーらなぁ…
いろいろ大変なんだぞ! って、住まないと実感できないだろうけど。

とにかく、そんな羨ましいって思ってるんだったらさ、行動起こせよ。
低賃金のニッポンで燻ってないでさ、ワーキングホリデーVISAなり永住権取得するなりして、オーストラリアで働けばいーじゃん。
そーすれば、今もらってるよりも給料増えるだろ?
周囲を気にせず好きな時にも休めるんだろ?

正規の職に就ければ、のハナシだけどな…
でもマジで、羨ましがるだけじゃなくて、チャレンジすれば?

その反面、当然だが物価は高く、サービスの質も含めてコストパフォーマンス世界一なニッポンに慣れきったおめーらには、かなり厳しいと思うよ。

「オーストラリアは、物価がすごく高いので缶ジュース買うとしても300円くらいします」
「日本円で1ヶ月10万円以下の部屋を探すのは基本的に不可能」
「正規の仕事に就くと、給料から税金が30%も引かれます。しかしご安心を。これ、全部返ってきます」

正しいのは2番目だけだな。
ソフトドリンクはコンビニで買わずに、WOOLIESかCOLESで24缶パックをセール時にGETしろ!
これでCOKEはひと缶60円程度になるわ。
税金が全部返ってくる? モナコじゃあるまいし、そんなワケねーだろっ!
間違った情報が広まったらどうするつもり?

とまあ、物価の件に限らず、このサイトで紹介されてる情報は「隣りの芝生は青く見える」の典型。
コレ読んで本気で豪州移住を考えた方は、しっかり裏とってください。

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今日のトレイルラン:19.9km
4月通算:91.1km
2015年通算:477.3km
MARREDINを通過! 次の目的地SOUTHERN CROSSまであと102.1km、KALGOORLIEまであと327.1km

20150430-1.jpg

トレイルランのハナシは、明日かな?


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2009/12/05(土) 永住権取得から今までの経緯―その3完結編(オマケあり)

「今までの経緯」シリーズ完結編です。

永住権取得から今までの経緯(新規読者向け)その1
永住権取得から今までの経緯(新規読者向け)その2

それではどうそ。


SYDNEY到着から1ヵ月半後の4月に賃貸UNITに入居、船便の引越し荷物も受け取った。
いやー、これでやっと落ち着けるね。

やっと落ち着ける?
落ち着けないでしょ!

だって俺、無職じゃん!
収入ないじゃん!
生活費、どうするんだよ?

プロバイダー料金、自動車保険、小腹がすいた時の外食代、そして家賃…
日本より物価が高いって判ってたけど、実際に生活すると身に沁みる。
加えて収入ゼロ。
貯金がどんどん減っていく。
この時期にずっと頭の中をグルグル駆け回ってたフレーズが、BLOGのタイトルになった訳だ。

俺ら、SYDNEYで人並みにやってけるの?
俺ら、SYDNEYで人並みにやってけるの?
俺ら、SYDNEYで人並みにやってけるの?

FOOD COURTで他人の食い散らかしたトレーを片付けてる人、ショッピングセンターのトイレを掃除している人、マジで羨ましく思えたもんね。
あの人、収入があっていいなーって。

そう行っておきながら、何ヶ月かはノンビリ過ごしてリフレッシュしても罰当たらないよね、と悠長に考えているもうひとりの俺がいた。
半年ぐらいは静養してもいいじゃないか、大学出てから16年間もずっと働き詰めだったんだから。
だから、4月に入るまでは真剣に就職活動しなかった。

でもさすがに嫁さんが痺れを切らして「家でゴロゴロしてないで、いい加減職探しに行きなさい!」と一喝され、しぶしぶ人材派遣会社数社をまわって面接してエントリーシートみたいなのに希望職種をツラツラと書いたのが確か4月の最終週あたり。
これで一応義理は果たした、後は「果報は寝て待て」だとばかりに家でゴロゴロ状態に戻ったのも束の間、派遣会社から連絡が来て、とある日系商社との面接がセットアップされた。

こういうのってホント、タイミング。
トントン拍子に話が進んで、財務経理担当としての採用が決定し、5月中旬から働き始めた。
就職活動を始めてから出社初日まで、約1ヶ月間。
こんなラッキーなことって、そうないよなー。
ホント、タイミングがよかった以外の何ものでもない。

これで他人都合で引越しを強要されるリスクが皆無になったのを機に、マイホーム購入に向けたリサーチを8月頃から開始し、いろいろあって翌年6月に土地を購入、同時進行でHOME BUILDERと交渉開始し、現在に至ります。

この不動産購入編だけでも、振り返ると紆余曲折があったよなー。
悪徳弁護士との裁判沙汰だとか…(結果は一部勝訴。弁護士側から見れば、敗訴)
BUILDERが倒産しかかった鞍替え、とかね…

戦うのだ!
主張するのだ!

とまあこんな具合で、今この瞬間を切り取ってみれば、ここSYDNEYでどうやら人並みにやってる、と思う。
今はね。

これからも人並み程度にやってけるのか、分からない。
そう、先のことは誰にも分からない…


これにて完結。
以上、ご清聴ありがとうございました。



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2009/12/04(金) 永住権取得から今までの経緯(新規読者向け)その2

昨日の続きね。
どうぞ。


2006年4月、パスポートに貼られた豪州永住VISAを見た瞬間、「よし、SYDNEY行くぞー!」と俺の心の中のエンジンがかかった。

こういうパターン、旦那がひとり突っ走っていくケースにおける最大の障害は、嫁さんの説得。
その点、俺の場合はラクだったね。
実は嫁さんとは、SYDNEYで出会ってそのままここで式を挙げた。
帰巣本能じゃないけど、縁のある場所へ今度は一家で舞い戻る… いい話じゃないか!

夏休み前には会社の上司に「豪州永住権取れた→SYDNEYに引っ越すつもり→年末に退職します」と告白。
引き止められるとか、そういうの全然なかった。
大企業で替えなんて掃くほどいるからな、と自分なりに理解。

夏休みに入り、同様の告白をしに夜行バスに乗って嫁さんの実家へ。
嫁さんの口添えもあって、ご両親から何とか賛同を得る。

時は経ち、06年の年末に円満退社。
年は明けて、1ヶ月ほどの渡豪準備期間(箱根に温泉浸かりにも行った)を経て、2月15日夜に成田を発ち、SEOUL経由で16日朝にSYDNEY空港に着陸。
2007年2月16日は、永住者として豪大陸に上陸した記念すべき日。
この日付が、このBLOGのURLの由来なのだ。

到着して1週間以内には賃貸UNIT決めちゃうぜ!と気合いを入れてたものの、高騰後の家賃相場に驚愕し、かつ「新しいところじゃなきゃ絶対嫌だからね。○○○○(地を這う茶色い虫の名前)出るようなところは絶対嫌だからね!」という嫁の譲れない部分を尊重したため、決まるまで1ヵ月半を要した。
その間は家具付きAPARTMENT暮らし。
それも、予約がうまくいかずにWAITARA→EASTWOOD→PENNANT HILLS→再びWAITARAと転々とした。
まさに、LIKE A ROLLING STONE。
この期間がいちばん辛かったなぁ…
引越し荷物はまだ船の上だし、部屋は狭い上にキッチンは使いにくいし、英語はうまく喋れないし聞き取れないし…

そんな中でも、クルマを購入し、子供らをLOCAL PUBLIC SCHOOLに入学させ、生活を少しずつ軌道に乗せていく。

そしてとうとう賃貸物件が決まり(当然予算オーバー)、引越し荷物の船上げと同じタイミングの4月初めにNEAR NEWなUNITに晴れて入居。

いやーこれでやっと落ち着けるねー、って俺、無職じゃん!
俺ら、収入ないじゃん!


以下、続く。


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2009/12/03(木) 永住権取得から今までの経緯(新規読者向け)その1

今日は趣向を変えて、新規の読者向けに、私個人の今日に至るまでの過去をサクッとご紹介します。
エラそーだよね、新規読者向けなんて謳っちゃって。
でもさ、ちょっと前までの1日のアクセス数、多くて10くらいだったのが、コンスタントにふた桁いってる。
このアクセス増加、個人的には大きな変革なのです。


それでは、行きましょう。


2004年2月、休暇をとって家族全員でSYDNEY旅行。
実は1992年から94年までの2年ほど、SYDNEY駐在してて、離豪10周年記念企画としての旅行だった。
SYDNEY、オリンピック開催で変わっちゃったのかなーと思ったけど、根っこの部分は全然変わってなかった。
10年前から変わったのは、俺らが子供3人といっしょに歩いていたこと。
HARBOUR BRIDGE歩いて渡ったり、フェリーに乗ったり、そしてBEACHで1日過ごしたり…
やっぱりいいよな、SYDNEY。
時間がゆったり流れてる(当時旅行者だからな。MANLYだって平日なら、そりゃ静かだわな)。
都会でこんなキレイなBEACHがあるなんて、あり得ない。
空も高くて青い。
緑も多くて子供らも気に入ったようだし、ここに住めたら結構いいかも…

と思いついたのが、そもそもの「はじめの一歩」。
そして帰国してネットで調べ、「オーストラリアは、条件を満たす者には永住権を与える」ということを初めて知った(INDEPENDENT SKILLED、技術独立永住ビザのことね)。
へぇ~、そ~なんだ~、全然知らんかった…
で、俺って条件を満たせるのか?
当時120点(今でも同じみたいね)だった基準点に届くのか?

ってドキドキしながら試算したら、ちょうどピッタリ120点。
会計の資格を持っていたのがかなり効いた。

よし、それ急いで申請だー!
年齢ポイント5点減っちゃう前に急げー、って慌てて書類かき集めて申請したのが2005年の確か6月末。
自分ひとりじゃアレンジできないから、エージェントを通しての申請。
高いFEE払わされたなー。

そして、パスポートに目出度く貼られたVISAのシールを確認したのが2006年4月末。

実は、この直前まではまだ自分の中では半信半疑だった。
一部上場企業のサラリーマンという安定した生活を捨ててコネも何もないオーストラリアでゼロから生活基盤を構築できるのだろーか?
俺ひとりなら人生リスクに晒してもいいけど、嫁さんに加えて小学校低学年と幼稚園の子供が3人くっついてくる。
責任重大、失敗は許されないよなー。
俺、本当に会社辞めてSYDNEY行くのか?、って、半分他人事のような気がしていた。

でも、パスポートに貼られたVISAを見た瞬間、「よし、行くぞー!」とエンジンがかかった。


話はまだまだ続くので、今日はこの辺でオシマイ。
続きはまた明日ね。



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